Edvard Munch - The Sun

アートとAI

AIにいろいろとやらせるのは楽しい。
プロンプトをうまく書くと、考えられないくらいにうまい具合に、静止画像も動画像も作り出す。
他にも、文章の生成出力では、事務書類から法律やその他の申請書類まで手続きが必要な書類は書き出してくる。そういうシステム的なルールに従ってものだけでなく、文学的な表現も可能でちょっとしたいけてる文章を書き出し、またそれを他の言語に翻訳することだってできる。さらに、文体を指定すると、例えば小説家の文体を学習して、それ風のスタイルのストーリーを作り出したりする。

システムが介在するものほど得意に生成できる。従って、多くの事務仕事などはAIの得意な範疇である。専門性が必要だった会計や法律なども、これまでの参照と解釈というパターンに単純化して大部分を片付けることができる。

人間の創造的な行為はどうなるのだろうか?これもおそらく「システム」から考えるというのが最適なのかもしれない。システムがより介在するものほどAIによって実現する余地が入り込む。
例えば音楽は、システム的なものであり、とくに西洋音楽は物理学的なシステムの組み合わせだ。同じ音楽でも、民族音楽では、脱システム的な要素が多くなる。
視覚表現ではどうかと言えば、デザインはまさに近代生産様式のシステムに対応して出来上がったものだかだ、かなりの部分はAIが引き受けることが可能だ。一方で、非システム的なものと言えば、より人間の肉体や感覚に根差したものと言える。絵画、彫刻の制作は、非システム的だ。

もちろんシステムを中心に考えること自体も、完全に当てはまるわけではない。というのは、人間そのものもシステムであるからだ。

いったい人間の存在理由は何によって示されていくのだろうか?
またあらたな哲学・・・

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