アートの歴史の把握を、どのように、いつから語り始めるかによって、その内容は大きく変わってくる。
「アートシーン」として語られる現在のアートの状況は、単に目先で起きていることについて語っているだけかもしれない。悠久の芸術史をどのように語るべきなのだろうか。
シュールレアリストのアンドレ・ブルトンは、「魔術的芸術」を著し、芸術の歴史を「魔術」から語っている。魔術という人類の文化を支配する技の創出から、アートの歴史を語るものだ。これは人類史、民俗史との接点を見ることだが、それとは無縁そうな近現代のアートも、とても魔術的だ。そう考えると、芸術は、人の心理につけこん操作する魔術の一種かもしれない。
一方で動物学者のデズモンド・モリスは、さまざまに語られてきた人間を、あえて動物として捉えて、1967年に「裸のサル」を書いた。この本は、世界中で1000万部以上売れるという超ベストセラーになった。動物として人間を捉えると見えてくる「習性」を観察するというのは、神が自分に似せて特別に造った人間を他の動物と同様に扱うということであり、恐ろしく大胆なことだと考えられた。
2013年に出版されたモリスの本では、「The Artistic Ape」(芸術的なサル)として、芸術が生まれた歴史を300万年まで遡らせた。
モリスはかつて取り上げた絵を描くチンパンジーCongoの以下の絵を、この本でもジャクソン・ポロックや、草間彌生と一緒に紹介している。
音楽の場合でも、生物学的に音楽の発生をどこに求めるかの研究があって、鳥類や動物、また現生人類以前の人類を含めて研究対象としている。
美術や音楽を含め、芸術の発生を含めた芸術史の探究は尽きない。
先端のバイオアートもこの領域に入り込んでくるのだろうか?