本は勝てるか?

本は勝てるか?

書店が減少しているということと、本の影響力が低下しているのではないかという懸念とは相関しているのだろうか?

電車の乗客は、圧倒的な誰もがスマホを見ている。スマホ一つで、コミュニケーション、メッセージ発信、映像、音楽、ゲーム、マンガ、情報検索、学習・・など、視聴覚の全方位に向いたデバイスとして、能力を開花している。この現状にとどまらず、AIの利用が進むにつれて、また新たな段階に入っていくだろう。

本は勝てるのか?

本ブログの一つ「紙の書物」では、イタリアの論理学者、小説家のウンベルト・エーコの、書籍に関する考えについて取り上げている。彼の書籍論のユニークさは、読書派の人たちに希望を与えただろう。

「読書」という漢字語は、一言で本を読むことを指す。これに相当する言葉は、英語にはない。"reading"が一般的にはこの漢字語の意味に相当するのだが、readingは読むこと一般も意味する。例えば、データを読むなどもそうだし、そこには交通カードやクレジットカードを「読む」ことも含まれる。
日本語の読書に相当する同じ漢字語の中国語(おかしな言い方だが)は、「读书」でこれは日本語の読書と同じだが、気分としては黙読する含意があるようだ。あまり意識してないが、日本の文化でも読書は黙読かもしれない。

また日本語の「読書」は訓読みすると「読み、書き」という二つの行為のことであり、また学習の意味を持つ。

本は、映像を見たり、音楽を聴いたり、SNSに書き込んだりはできないが、これ一つで、物語を楽しんだり、学習もできるし、しかも電気エネルギーなどは消費しない。

また物質としての紙は、絵画、写真などの感覚に近いものがあって、それはプロジェクションされたイメージには持てない質がある。

本は勝たなくとも、「読書」という行為とともに存在し続けるものではないだろうか。

黙って静かに本を読む。瞑想とか熟考などもこれについてくる。




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