Courtyard of the Louvre Museum with its pyramid by Benh LIEU SONG (Flickr)

美術館には何があるのか?

公営美術館の改築計画が、ここのところ、建設費高騰で、いくつか中止や延期になっている。材料費、輸送価格の高騰など、さまざまな原因が積み重なっているようだ。また一口に「公営」と言っても、行政の単位によって一様ではない。
社会制度とは密接につながっていて、美術館は、西欧近代社会とともにできた近代主義の産物だ。それまで王侯、貴族あるいはキリスト教会などの支配階級がさまざまな財宝として美術品を持っていた。それが近代革命によって、王政の廃止や社会改革の際に、彼らが持っているものを庶民に公開する場として美術館が作られた。日本の場合は、西洋の近代主義を移入する際に制度的に作られた。歴史の背景は異なるが、近代主義がベースにある。

その近代主義には、教育も含まれていて、学校教育も産業社会に必要な読み書き算数のような実業に結びつくものから音楽、美術のような情操教育までの範囲があったし、それは社会教育でも同様な構造を持っていた。したがって美術館も、そのような役割を担い、美術品の鑑賞の際には、“静かに歩く”“作品に敬意を払う”というような規範も教育される場でもある。

私が一緒に撮影しているような人たちは、美術館に入る機会など一度も与えられてこなかった、禁止されているわけでもないにしても、ほとんどそれに近いのです。

これは映画監督ペドロ・コスタの言葉だ。彼はポルトガルの移民集住地区のスラムに住む人々の中で、世界的に知られる連作のシリーズを制作している。
この言葉は、彼の映画シリーズに何度も登場するヴェントゥーラという人物について語ったことの延長にある。この移民の男は、ポルトガルにやってきてありついた仕事の一つが、美術館の建設現場で働くことだった。彼は、有数の素晴らしい美術館の建設に関わったのだが、その美術館とはそれ以外の接点がない。

コスタの話にはたくさんの伏線があって、社会的な格差などの話だけでなく、美術というものが、ある階級に所属している、あるいは依存していることを示すだけでなく、自分の表現の場である映画は、もっと開けたものであることも主張している。

美術館の機能は、先にも挙げたように近代社会の紐帯の一つである。だがこの状態は、だんだんと崩れていって、アーティストが想定する場所は、美術館の外にますます広がっている。美術館は、近代、ポスト近代、そしてその後の文化分散状況を経て、機能を変化させている。収蔵する作品も多様化し、美術館も外の社会と深く関わらざるを得なくなってきている。美術館のあり方は、これから多様化するだろう。
一方で、アーティストたちは、ますます美術館と距離を置くか、関わらなくても良いようになってもきている。

 





Photo: "Courtyard of the Louvre Museum with its pyramid "
Benh LIEU SONG (Flickr)
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